『雍州府志』の賀留多の項にこの様な一文が有ります。少々解りにくいかと思いますので、読み下しますとこんな感じでしょうか。
「互いに得る所の札を、其の紋の同じ者を合せ、其の紋の相同じき者の無きを負けと為す。是を合せと謂う。其の紋を合せると言う義なり。」
『雍州府志』に見られる「江戸カルタ」の技法の中で、技法の内容が書かれているのは「よみ」と「あわせ」の二種のみです。又、『雍州府志』と同時代の咄本『鹿の巻筆』(貞享三年刊)にも「あわせ」が登場します。
これらの資料から、この時代には「あわせ」は大変ポピュラーな技法であり、「江戸カルタ」の代表的な技法の一つであった事が解ります。
時代を遡って見ますと、寛永十五年(1638)序の『毛吹草』巻三、付合に「袷」の縁語として「賀留多遊」と有るのが、技法「あわせ」に関係する最も古い資料でしょうか。
「あわせ」に関する比較的古い記述として、次の資料が有ります。
これによると、少なくとも江戸では寛文期(1661-1673)迄には「あわせかるた」が行われていたと考えて良いでしょう。
延宝期(1673-1681)に成りますと、雑書や誹諧書に次の様な記述が見られます。
それでは、この「あわせ」とはどの様な技法なのでしょうか。例えば、同人「日本かるた社」のメンバーの佐藤要人氏は、あっさりと次のように書いています。
めくりは古くは「合」といった。佐藤要人「江戸のめくり札」
『別冊太陽No.9 いろはかるた』平凡社 1974年
つまり、「あわせ」は「めくり」の古称、或は「めくり」の元となった同系統の技法であるというのが定説と言って良いでしょう。これを「あわせ=めくり説」と呼んでおきます。これには、山口吉郎兵衛氏の『うんすんかるた』中の次の一文の影響が大きいと思われます。
合せ、記載簡単過ぎてよくわからぬが、手札と場札とを合せる意味であろう。「其紋之同じき者を合す」とあるけれども、紋標は同じものが十二枚もあるから、数の同じきものを合せるの間違いではあるまいか。若しそうとすれば此技法はメクリカルタとして後年読みカルタに代って大いに流行した。現代の「花合せカルタ」は此技法を伝えている。山口吉郎兵衛『うんすんかるた』
リーチ 1961年
これに対して、法政大学教授の江橋 崇氏は次のように疑問を呈しています。
次に「合せ」というのがあります。これは、後の時代の花札のように、手に持っている札と場に出されている札とを「合わせ」るものと考えられていました。しかし、よく読んでみると、紋の同じものを出し合い、その中での高い低いが勝負、その紋がないものは負けと書いてあります。今日のブリッジやツーテンジャックのような、いわゆるトリックテイキングの遊びと理解しておいた方がよさそうです。江橋 崇「海のシルクロードートランプの伝来とかるたの歴史」
『遊戯史研究1』遊戯史学会 1989年
『古事類苑遊戯部』には「合せ」の遊びが多数掲載されているが、「絵合」「歌合」「花合」「香合」「鳥合」「琵琶合」「今様合」その他、多くは競い合せの意味である。「貝合」も同様で、より素晴らしい貝殻を競う遊びであった。はまぐり貝を使って本来のペアと合わせる遊びは、これとの混同を避けて「貝覆」と呼ばれていた。こうした、ダイナミックな競い合せが、自分の身分に釣り合うものに寄り添うというニュアンスの「合せ」に沈滞するのは江戸期以降であった。そして、近代では「合せ」は主として後者の意味で使われる。「貝覆」が「貝合せ」と呼ばれるようになったのは象徴的である。
(中略)
かるた史の世界で「合」というと直ちに思い出されるのが貞享元年(1684)に刊行された『雍州府志』にある「互所得之札合其紋之同者其紋無相同者為負是謂合言合其紋之義也」(互いに得しところの札その紋の同じき者を合わす。その紋の相同じきなき者を負けとなす。これを「あわせ」と言う。その紋を合わせるの語義なり。)という記述である。
山口吉郎兵衛『うんすんかるた』三八頁は、この部分を次のように理解した。「記述簡単過ぎてよくわからぬが、手札と場札とを合わせる意味であろう。「其紋之同じき者を合す」とあるけれども、紋標は同じものが十二枚もあるから、数の同じものを合せるの間違いではあるまいか。若しそうとすれば此技法はメクリカルタとして後年読みカルタに代わって大いに流行した。現代の「花合せカルタ」は此技法を伝えている。」山口の理解はその後広く支持され、今日まで疑われたことはない。しかしこれには今日の「合せ」の語感で江戸前期の文献を理解している危うさがある。当時の語感からすれば「合せ」はまさに同じ紋標のうちで強いものを出し合う「競い合い」であったはずである。『雍州府志』はたしかに山口が言うように簡単すぎてよくわからないが、「同じ紋のものを競い合わせる」という基本構造の記述は「間違い」ではなかろう。江橋 崇「花札の歴史(三・完)」
『遊戯史研究9』遊戯史学会 1997年
つまり、技法「あわせ」はトリックテイキングゲームであるという事です。ただし、そのように考えたのは江橋教授が最初という訳ではありません。
同じ紋の札を合せすて数の多いものが又次の紋の札を出し此れをくりかへして早くなくなったものが勝となり、紋の同じものがなくなり親に従はれなくなつてしもうのが負となるのである、つまりトランプの絵取で切札が無く、又持ち合せの無い時ちがふ札は決して出さずその回はぬけると云ふ様なことになるのである。此れに依つて前の様な勝負をするので此れを「合」と云つて居たのである。有馬 敏四郎「遊戯・玩具」
『日本風俗史講座』雄山閣 昭和三年
少々深読みし過ぎの感もありますが、確かに「あわせ」をトリックテイキング系統の技法と捉えています。
おおよそ六十年を経て江橋教授によって復活した「あわせ=トリックテイキングゲーム説」ですが、その根拠を整理すれば次のように成るでしょうか。
確かに、山口氏の言う「紋標は同じものが十二枚もあるから」間違いであるという推定は説得力に乏しく、「紋標」が「数標」の間違いであるとする合理的な理由は、特に見当たりません。
ただし、参考までに紹介しますと『うんすんかるた』の元となった論文「ウンスンカルタ」(『美術・工芸 21号』 昭和18年12月に所収)を見ますと、ほぼ同文が掲載されていますが「紋標は同じものが十二枚もあるから」の部分のみ欠けています。この部分が、後に山口氏ご自身によって書き加えられたものなのか、『うんすんかるた』の編集時に加えられたものなのかは不明です。
この「あわせ=トリックテイキングゲーム説」は、大変魅力的です。何故なら、これが正しければ「あわせ」こそが「うんすんかるた」の元となった技法だと考えられるからです。
「うんすんかるた」とヨーロッパの古いカードゲーム「オンブル」との類似性は古くから指摘されている事ですが、この二つのゲームを繋ぐ中間的な存在が「あわせ」技法だと考えられます。つまり、@我が国へのカルタ伝来と共に、「オンブル系統」の技法の一つが伝えられ、Aそれが「江戸カルタ」を使用する一技法として行われ、「あわせ」と呼ばれた。B「あわせ」技法を元にして、札の数を増やした「うんすんかるた」が作り出された。このような流れが考えられます。
「あわせ=めくり説」と「あわせ=トリックテイキングゲーム説」。一体、どちらが正しいのでしょうか。長く成りましたので、結論は次節に譲りますが、最後に参考資料を一つご紹介しておきます。
ここには、「めくり」と「あわせかるた」がハッキリと別のものとして書かれています。やはり、「あわせ=めくり説」は間違いだったのでしょうか?
前節に引き続いて技法「あわせ」について、例によって江戸時代の文献資料を元に考えたいと思います。「あわせ」に関する最も重要な文献は、「カルタ資料展示室」に既に展示済みの『教訓世諦鑑』でしょう。
この記述は『雍州府志』の「合」の記述よりも具体的です。技法の詳細までは解りませんが、ここでは明らかに同じ「数」を合せるとありますので、やはり「めくり」系統の技法である可能性が高いと思われます。「あわせ」は「めくり」の古称、或いは元になった技法と考えて良さそうです。次の資料も又、この「あわせ=めくり説」を支持していると思われます。
内容は勿論フィクションですが、寺の縁起にかこつけて、元は「あわせ」と呼ばれていた技法が「めくり」と呼ばれるように成ったという歴史的事実をパロディー化したものと考えられます。「めくり」の登場時期を明和年中(1764-1772)とするのも他の資料事実と合っています。
他に「あわせ」技法の内容について、僅かではありますが伺い知れる資料としては、次のものが有ります。
ここからは「あわせ」が三人で行う技法である事、点数を取り合い、最終的にその合計点数によって勝敗を決める事が読み取れます。この二点共、「めくり」技法にも共通しています。
「めくり」技法の重要な特徴の一つとして、札に固有の点数が有り、その合計点によって勝敗を決める点があげられます。「よみ」「かう」「きんご」或は「うんすんかるた」等の技法にはこの様な「札に固有の点数」という概念は見当たりません。しかし、不思議な事に明和期の「めくり」出現以前の文献に、この「札に固有の点数」の記述が幾つか見られます。どうやらそれらが「あわせ」だと考えて良さそうです。それらについて見て行きましょう。
「あわせも百にたつ」とは「釈迦(十)」が「あわせ」技法では100点である、という意味でしょう。この資料では「釈迦(十)」が100点、「青二」が50点と考えられます。他の資料でも「釈迦十」は全て100点のようですが、「青二」「あざ」につては資料によってまちまちです。
ここでは「釈迦十」100点、「青二」100点、「あざ」60点のようです。
はっきりしませんが、「三光百づつ」とあるので「あざ」「青二」「釈迦十」共に100点でしょうか。
共に「釈迦十」100点を示しています。「あざ」や「青二」の点数は、時代や地域によってバリエーションが有ったのかも知れません。
「あわせ」に関する資料は数が少なく、今のところこれ以上詳しい事は解りませんが、以上の資料から考えると「めくり」と同系統の技法であったと結論づけて良いでしょう。
最後に、「あわせ」に関する残りの資料をご紹介して本節を締め括らせて頂きます。