江戸カルタ「よみ」分室 四頁目

〜江戸カルタ技法「よみ」に関する研究室です〜


『雨中徒然草』を読む(六)
  第三の序(其の三)

役ハ揃壱と立二役三役四役云是一二三四
  上
   七金もの二おち
是に三折かけかそゆる也
折かすハいく折にてもきわめ次第也たとへハ団四役下三二役青二上にてミれハ数四合セて八なり是三折二十四也○よひ出しと云八落絵を入て役にするを呼出しと云なり○是をしりをこしと云しりをこしなれハたとへ青馬なれハ役数○二付○三光○こんてい此分ふへて○団四○下三二○こんてい二○三光○二付一数四役数十也上リ二落二十四也三折四十四也何も此心也
たて云ハ青物役のとき上つゝ取ハたとへ青切青九しやかと有九十ニ而も三本ならひ也青建ニ而なけれハ九にて間きるゝゆへに一本附廻しと云ハ其役数五役有ハ馬二の上五所へ五度当る落四か四五二十
古ハ一九なとゝ云ことあれとも割合かたよる故にウタレ程の乗なしよつて高き古人是をかんすと云也
かるたハまりのことくすなを上る事を覚へすしては我かへつて役をウタレむりに手前の絵合能するときハきわめてむかふの絵都合よしうち出しととめ所か大事也親出をかよさつにくミ同二番附時ハ二はんに役有親くる絵か親役なれハ二はん打きりかるた也十馬きり二通とミゆる割返しハかちたる所へらしうたれたる所へ三はん役ウタセつかふすれハわり返しおのつから大やふ成によつて我わり返し多く取故ウタレ少し一けんかちすくれは両方割少し此心付る事割返の伝なり

(序7オ×8ウ)

役は揃一つ、立二役、三役、四役という。これを一二三四という。

ここからは「よみ」技法における得点の計算方法について書かれていますが、かなり難解な内容が続きます。最初のこの部分からして意味不明です。この部分について佐藤要人氏は「役にはそろたちやく)とがある。」とだけ述べていますが、恐らく「よみ」の役は「揃役」と「立役」の二種類に大別されるという意味に解釈されているのかと想像されます。一応妥当な解釈だと思われますが、佐藤氏はその内容についての詳細には言及されていませんのでここで少し考えておこうと思います。

『雨中徒然草』の本文に見られる数多くの役は、その性格から大きく次の二種類に大別する事が出来ます。

  1. 手札の全体か一部が、或る条件を満たしている場合に成立する役。
  2. 手札の中に、ある特定の札が含まれている事が必要とされる役。

順番に説明していきましょう。
@手札の全体か一部が、或る条件を満たしている場合に成立する役。
 『雨中徒然草』本文では主に後半部分に掲載されている役がこのタイプに属します。例としては、同じ数の札が三枚揃った時に成立する「揃」、手札が九枚連続した数の札の場合に成立する「一九」「二十」「三馬」「四切」、手札が全て五以下の数の札で構成される「五下」、手札九枚が全て生き物札である「惣生」等が挙げられます。「生き物」と云うのは、何等かの人物の描かれた「十」「馬」「切」の札、及び元々は龍の絵柄が描かれ、後には虫とも称された「あざ」と「一」の札、つまり何等かの生物の描かれている札を指します。『雨中徒然草』本文から「惣生」の項をご覧下さい。

惣生 あつかい
ひん十馬切虫をいき物と云是ヲ九まへあれハそういき也

(29オ×30オ)

「生き物」という概念は、少なくとも享保期初頭には既に存在していた様です。

『色里新迦陵頻』享保初年頃(1716-)
九まいながらが、いきものであざもそはりてあるならば、あたい千ばん一ばんなり共それはうちてのとくぶんたるべし

更に「惣生」という役名も享保期中頃迄には使われていた事は、次の雑俳から明らかです。

『一句笠』享保十年(1725)
めづらしや・天地そういきかみざんカウ
『大花笠』享保中(1716-1736)
ヌヘの顔・そろ惣イキアザの花

A手札の中に、ある特定の札が含まれている事が必要とされる役。
 このタイプは『雨中徒然草』本文の前半部に掲載されていますが、更に大きく二種類に分類する事が可能です。
A-a手札内に三枚以上の特定の札が揃えば成立する役
 言葉で定義すると難しく聞こえますが、一般的に「役」として一番イメージし易いのがこのタイプでは無いでしょうか。花札の役「猪鹿蝶」等をご存知の方ならば説明の必要も無いでしょう。『雨中徒然草』ではこのタイプに分類される役が最も多く成っています。例えば「あざ」「青二」「釈迦十」の三枚が揃えば古くは「三光」、この時代には「団十郎」と呼ばれた役と成ります。他には「あざ」「海老二」「釈迦十」の三枚から成る「海老蔵」、「釈迦十」「青馬」「青切」の三枚から成る「上三」、「あざ」「青二」「青三」の三枚から成る「下三」等がこれに該当します。これら四つの役は「めくり」技法でも全く同じ構成札、同じ名称で使われています。ところで「めくり」技法の役は全てこのタイプに属するものですが、「よみ」の役には別のタイプが存在します。
A-b手札の内に特定の一枚、又は複数枚の札が有り、更に残りの札が決められた条件を満たしている場合。
 このタイプの役の代表的な例として「弁天」を見てみましょう。「弁天」は九枚の手札の内に「あざ」が有り、残りの八枚の札が「白絵」である場合に成立します。「白絵」とは、例えばこの場合では「あざ」以外の八枚の手札に「生き物」札が全く含まれていない状態を言います。「弁天」と良く似たものとしては、白絵に「青馬」又は白絵に「青切」でそれぞれ「野馬」「野切」という役に成ります。これらは特定の札が一枚のパターンですが、特定の札が二枚の役も数種有り、例えば白絵に「あざ」と「釈迦十」で「両ざし」という役に成ります。この様にこのタイプの役のほとんどが白絵絡みで成立するものなのですが、白絵以外のパターンの役も有ります。
 タイプ@で説明した「五下」に関係の深い一連の役が有ります。手札に「釈迦十」が一枚有り、残り八枚が全て五以下の数の札、つまり「五下」の場合に「西の河原」という役に成ります。同様に「青切」に五下、「青馬」に五下でそれぞれ「修羅道」「畜生道」という役と成ります。何故か三種共に地獄に関係した役名が付けられています。恐らく「五下」という低い数から、地の底に有る地獄というイメージを連想したのかと思われます。

ここで「よみ」技法の役を理解する為にとても重要な概念である「白絵」についてもう少し詳しく考えておきましょう。先ず『雨中徒然草』本文から「白絵」の意味を探ってみましょう。

こミ五こう
こミ五光とハ初にしるす五光の絵の外に残三まへハつねのいきものにて十馬切ひんの内一まへニ而も二まへニ而も入ハこミと云よつてやく安し
又しらへの五光は初にしるす絵の通にて残り三まへの内生もの無キをしらへと云いつれも此のことし

(1ウ)

タイトルの「こミ五こう」は「ごみ五光」です。全文を読み易く直すと「ごみ五光とは初めに記す五光の絵の外に残り三枚は常の生き物にて、十、馬、切、ぴんの内一枚にても二枚にても入ればごみと云う。依って役安し。又、白絵の五光は初めに記す絵の通りにて、残り三枚の内生き物無きを白絵と云う。何れも此の如し。」と成ります。つまり「白絵」の定義とは、手札の中で役を構成する札以外の札に「生き物」が含まれていない状態を指すものだと考えられます。しかし「白絵」について佐藤要人氏は『江戸めくり加留太資料集 解説』の中で(p54)次の様に書かれています。

「しら絵」は、人物などの書れている札を「生きもの」と云うのに対し、それ以外の札の総称である。「生きもの」札は、十の札、十一の札、十二の札、それに一の札をいい、それ以外はすべて「白絵しらえ」ということになる。

この様に佐藤氏は「白絵」を「生き物」札以外の個々の札を指すものと定義されている様で、意味する所は大きな違いは有りませんし間違いだという訳では有りません。しかし『雨中徒然草』の記述を厳密に解釈するならば、「白絵」とは個々の札を指すのでは無く、前述の様に手札全体の状態を表す語と捉えた方が良いのではないでしょうか。つまり「白絵」とは「生き物」の対義語では無く「ごみ入り」の対義語なのです。

もう一つ「白絵」に関係する資料を引用しておきましょう。

『金曾木』文化六七年(1809-1810)
○弁天おとよといひしは、ゑりの所にアザ少しありしと云。よみ紙牌カルタの役といふものに白絵シラヱ青き色なきをしら絵といふにアザ一枚あるを弁天といひし故、白き肌にアザある故のたはぶれごと也。其身は弁天/\とよぶゆへに、容の美なるを称していふとのみ思ひしとぞ。此妓、秋の比身まかりし時、橘町にすめる宗匠祇徳が追善の句、
  蛇(ヘビ)は穴弁天おとよ土の下(シタ)
といひしもおかし。

著者はあの「うんすんかるた打方」を収録した『半日閑話』でお馴染みの大田南畝です。この記述ですと「白絵」とは青札(パウ)以外の札、「よみ」技法の使用札でいえば「オウル」「コップ」の全ての札と「海老二」という事に成り『雨中徒然草』の記述と食い違っています。この点についても佐藤要人氏の記述(p72)を引用させて頂きましょう。

弁天おとよは明和・安永の頃、薬研堀一帯に名高い売れっ子の踊子であった。このおとよが、「読かるた」の役の名から異名がついたというのである。ただし、割り註に「青き色なきをしらゑといふ」とあるのは誤りで、生きもの札以外をすべて白絵と称したことは、『雨中徒然草』の記事中に明らかである。

佐藤先生にしては少し結論の出し方が強引である感が否めませんが、勿論『雨中徒然草』の記述の方が正しいと考える点においては全く同意見ですので、ここで傍証と成る資料を一つご紹介しておきましょう。

『実ばへ菊』元文四年(1739)
七八枚しら絵を見たにくそ虫め

本句には「しら絵」「虫」とカルタ用語が二つ含まれていますので、江戸カルタを詠んだものと考えて間違いないでしょう。では本句の「虫」とは具体的にどの札を指しているのでしょうか。

『雨中徒然草』では「虫」を青の1の札、つまり「あざ」に特定して使用し、その他の1の札を「ぴん」と呼んでいるのですが、これはかなり特殊な使用法です。一般的には1の札全て、又は「あざ」以外の1の札を「虫」と呼ぶ事が多かった様です。幾つかの例を紹介しておきましょう。

『虫合戦物語(御伽衣話)』延享三年(1746)
此虫とも寄り合ひて、骨牌かるたの虫をひねりつゝ、中にもあざといふむしに取當るが仕合せと、面白さうに申せども、

ここでは「あざ」を「虫」の中に含めています。一方、次の二つの雑俳では「あざ」と「虫」とを明確に区別しているのが判ります。

『俳諧 塗笠』元禄十年(1697)
うれしがり・虫をあざじやと白仁シロト
『冬木立』享保十六年(1731)
趙高が打タバかるたのむしもあざ

「よみ」技法においては「あざ」とその他の「虫」札は共に1の数の札でありながら、その価値としては正に月とスッポン程の差があります。全ての札の中で「あざ」が最も重要視されるのに対して「虫」は最も厄介視されると言っても良いでしょう。(詳細はそれぞれのリンク先をご参照下さい。)

それでは例句「七八枚しら絵を見たにくそ虫め」の句意を考えて見ましょう。「くそ虫」という強く罵倒した表現から、この「虫」が「あざ」であるとは考えにくく、その他の「虫」札だと考えて良いでしょう。「虫」は不利な札では有りますが、「くそ虫」呼ばわり迄されるのにはそれ以上の理由が有ると考えられます。「七八枚しら絵を見たに」と有るのでそこまでは手札が「白絵」の状態で有ったのに、最後に「虫」が来た為に「白絵」が崩れてしまったという事でしょう。具体的な情況としては、例えば手札に「青馬」が有り、残りの手札が七枚まで「白絵」。高得点役である「野馬」の成立を期待して最後の一枚を開けたところが出て来たのは「虫」札。「虫」は「生き物」札ですのでこの瞬間に「白絵」は崩れ、一瞬にして「野馬」はパーと成りました。

ここで大田南畝の『金曾木』に書かれていた「白絵」のもう一つの定義、「青き色なきをしら絵といふ」を検証して見ましょう。この定義に従えば「あざ」以外の「虫」札は「白絵」という事になります。そうしますと最後の一枚として「虫」が入っても「白絵」が成立したままですので、「くそ虫」とまで強く罵倒する根拠が有りません。一方、この「虫」が「あざ」である場合には「白絵」が崩れる事には成りますが、「あざ」を手に入れる事でかなり有利に競技を進められますので、同じく「くそ虫」と呼ぶのは不自然です。つまり南畝説では例題句に対して明解な、スッキリとした解釈を得る事が難しいという訳です。

寄り道が長く成りましたが、この後『雨中徒然草』を読み進めて行く上で非常に重要な概念で有る「生き物」「白絵」「ごみ入り」について理解して頂いた所で先に進む事にしましょう。

 上り一つ。
  七金もの二つ、もっとも落同じ。
これに三折掛け、数ゆる也。
折数は、幾折にても極め次第也。

記述が簡潔過ぎてハッキリしませんが、恐らく競技の勝利者には役点の他に上がり点として通常は1点、打ち上げ札が七金物の場合には2点が与えられるという事だと考えられます。しかしこの規定が唯一絶対的なものでは無かった様で、例えば『博奕仕方』中の「よみ仕方」の項にはこれと異なる規定が記されていますので引用しておきます。

『博奕仕方』寛政七年(1795)頃
勝負銭取遣り之定め五下と唱、五より下之札にて打限り勝候ものは何文ツヽ取候事、五より上ノ札は六にて上り候得ば六文、七にて上り候得は七文取,右に准じ取遣仕候事

この問題に関しては、何れ別の場所で検討する事に成ると思いますので、ここは取り敢えず先に進む事にしましょう。

次の「もっとも落同じ」の「落」は「落絵(死絵)」の事と考えられます。後に出る「呼び出し」「尻起し」を行なって「落絵」を起した場合も同じで有るという事です。何が同じかというと、当然の事ながら直前に書かれている上がり点の規定と同じという事になります。つまり「呼び出し」「尻起し」を行なえば通常は1点、落絵が七金物だった場合には2点が与えられるという事だと考えられます。

役点、上がり点、呼び出し点の合計に3を掛けたものが勝者の得点に成りますが、掛ける数は3に限らずその場の取り決めによります。しかし三倍を標準としているのは何故でしょうか。些細な問題ですが一応検討しておきましょう。

「よみ」では一回の勝負が終わる毎に点石(碁石等)を遣り取りして得点を清算します。残念ながらその際の具体的な方法を示す資料は見当たりませんので推察するしか有りませんが、何も難しく考える必要は無いでしょう。最も単純且つ自然な方法としては、勝者以外の競技者が均等に負担する事が考えられます。例えば勝者の得点が30点だったとしましょう。「よみ」技法の標準的な競技人数は四人ですので、残りの三人からそれぞれ10点づつ徴収すれば合計30点と成ります。しかし勝者の得点が40点だったらどうかというと、3で割り切れずに端数が出てしまいます。予めその際の扱い方を決めておけば特に問題は有りませんが、もしも得点が常に3の倍数で有るならばその必要も有りません。つまり元となる点数に3を掛けたものを総得点と決めておけば良い訳です。

続いての部分ではこの計算方法を具体的な例を挙げて説明しています。

例えば「団(団十郎)」四役、「下三」二役、「青二上り」にてみれば、数四つ、二つ、二つ、合わせて八つ也。これ、三折二十四也。

先ず役点として「団十郎」の4点と「下三」の2点。上がり札は七金物の一つの「青二」ですので上がり点として2点。従って合計得点は(4+2+2)×3=24と成る訳です。ちなみに以前「七金物」について検討した際にうっかり「残念ながら『雨中徒然草』には、一体どの七枚の札が金入りなのか書かれていません。」と書いてしまいましたが、この部分で間接的にでは有りますが「青二」が「七金物」の一枚である事が示唆されていました。

この部分はとても解り易く書かれており、一見した所何の矛盾も問題も無さそうに見えます。先を急ぎたいのはやまやまなのですが、実は見逃す事の出来ない重要な問題が潜んでいます。ここで又少し、いや、かなりの寄り道に成りそうですがどうかお付き合い下さい。

最初の問題は「団十郎」の点数が4点とされている点です。『雨中徒然草』本文の「団十郎」の部分を見てみましょう。

団十郎
 [青二][釈迦十][あざ]
 五

(3オ)

構成札は「あざ」「青二」「釈迦十」の三枚で、点数は5点とされています。何故この様な食い違いが生じたのでしょうか。『雨中徒然草』本文中では「団十郎」の役点は一貫して5点とされていますので、こちらの4点を誤記と考えてしまえば話しは早いのですが、そう簡単に片付けてしまう訳にはいけません。

柳籠裏やなぎごり 三篇』天明六年(1786)
けちなよミ團十郎が十弐文

句意は説明するまでも無いでしょう。この句を解釈する場合、「団十郎」が4点の方がスッキリします。つまり役点4点を三倍した12点が十二文に相当する訳です。これは1点が一文という最低のレートですので、正にケチな「よみ」という表現がピッタリだと言えます。一方、役点が5点だと計算がうまく合いません。

勿論この事をもって「団十郎」の役点は5点では無く、4点の方が正しいと主張するつもりなど有りません。そもそも「よみ」の統一ルールなど存在しません。時代や地域によって様々なローカルルールが存在したと考える方が自然でし、役点や点数計算法にも色々なバリエーションが有った筈です。極言すれば最も優先されるルールは仲間内による取り決めなのかもしれません。『雨中徒然草』に書かれているのは、あくまで作者である太楽が知っている「よみ」でしか有りません。仮に色々な矛盾点や疑問点を太楽先生に尋ねたところで「これでいいのだ」と軽く一蹴されてしまうのが関の山でしょう。しかしながらローカルルールやバリエーションというものは、その基となる一般的なルールが有って初めて存在する概念です。当然の事ながら「よみ」にもその様な基本ルールが存在した筈ですし、それは少なくともある程度の整合性、合理性を持ったものである筈です。太楽先生が教えてくれないならば自力で解明していくしか有りません。

本題に戻ります。明らかに問題なのは、『雨中徒然草』一冊の中で序文と本文の記述に食い違いが有るという点です。これはローカルルールやバリエーションといったレベルの問題では有りません。「団十郎」という役に対して、5点と4点の二つの点数が同時に存在しているという事です。この問題を考える上で参考になると思われますので「下三」についても見ておきましょう。

下三
 [青二][あざ][青三]
 ○ 三
 □ 二

(7ウ)

構成札は「あざ」「青二」「青三」の三枚。文中の「○」「□」はそれぞれ「白絵」「ごみ入り」を表す印です。従って点数は「白絵」の場合で3点、「ごみ入り」ならば2点と成ります。ところで「下三」と「団十郎」が一手に有るという事は「下三」を構成する三枚の他に「釈迦十」を持っている事に成ります。「釈迦十」は「生き物」札ですのでこの場合の役点は「ごみ入り」の2点と成る訳です。

ここで注目して頂きたいのは同じ「下三」でも「白絵」の時と「ごみ入り」の時とでは「ごみ入り」の方が1点低くなっている点です。実は『雨中徒然草』本文で紹介されている役の内、前に試みた分類のA-aのタイプに属する役の多くは同様の設定、つまり「白絵」より「ごみ入り」の方が1点低く成っているのです。これが「よみ」の役点についての基本原則なのでは無いでしょうか。ところが「団十郎」の場合は前記の通り役点5点のみが示されている訳ですが、これは寧ろ例外的だと言えます。そこで仮に「団十郎」にこの基本原理を適用すれば、勿論「白絵」の場合が5点で「ごみ入り」の場合には4点となると考えられます。

ここでひとまず「団十郎」から離れて、もう一つ別の問題を検討しておきましょう。現在の手札を再度確認しておきますと「あざ」「青二」「青三」「釈迦十」の四枚が判明しており、残りの五枚の種類は不明です。ここで疑問なのは「釈迦十」「青三」「あざ」の三枚が揃えば「市まつ」役が成立する筈なのですが全く言及されていません。

市まつ
 [釈迦十][青三][あざ]

(16オ)

これも太楽先生の不注意と片付けてしまえば話しは早いのですが、他に正当な理由が無いかを充分に検討せずにその様な結論を下すのはフェアーな態度とは言えません。

先ず「市まつ」の役点を考えて見ましょう。ご覧の様に役点の記載は無いのですが、全く見当が付かない訳でも有りません。実は『雨中徒然草』本文の前半部分(A-aのタイプに分類される役が掲載されています)は全体的な傾向として、概ね役点の高い役から低い役の順に配列されています。一番最後の方に幾つかの1点役、更に続いて役点の記載されていない役が記されており、問題の「市まつ」もこの役点無記載役の内の一つです。役点が省略されている真の理由は判りませんが、仮にこれらの役点を推測するならば、1点と考えるのが妥当でしょう。更にこれらの直近の役点記載の有る役「よりまさ」を見てみましょう。

よりまさ
 ○ゑに[青馬][釈迦十][オウルの馬]
 一

(12ウ)

役点は「白絵」で1点と有ります。この事から考えれば、「市まつ」を含む一連の役も同じく「白絵」で1点の役と考えて良いでしょう。ではこれらの役が「ごみ入り」の場合はどうなるのでしょうか。「ごみ入り」は「白絵」よりも1点低くなるという原則に従うならば1−1=0、つまり「ごみ入り」の「市まつ」の役点は0点という奇妙な結論が出ます。

ここで整理しておきましょう。先ず「よみ」の役点の基本的な構造として、「ごみ入り」の場合は「白絵」の時より1点低いという原則を仮定しました。この原則を当てはめると「団十郎」は「白絵」で5点「ごみ入り」で4点、又「市まつ」は「白絵」で1点「ごみ入り」で0点であると想定されます。これに基づいて『雨中徒然草』の文章に戻って確認すると、「下三」は既述の様に「ごみ入り」の2点、他も「ごみ入り」だとすれば「団十郎」が4点、「市まつ」は0点ですので点数が計上されません。少々無理やりの感は否めませんが、これで一応の辻褄は有っているのでは無いかと思います。しかしまだ問題が有ります。先に説明した通り「下三」の場合は他に「生き物」札の「釈迦十」が有りますので、既に「ごみ入り」が確定しています。しかし「団十郎」と「市まつ」の場合は事情が異り、現在判明している「あざ」「青二」「青三」「釈迦十」の四枚の手札からは「ごみ入り」か「白絵」かを確定する事は出来ません。この点に関しては、後に続く部分との兼ね合いから説明が付くと思われます。

呼び出しというは、落絵を入れて役にするを呼出しという也。これを尻起しという。尻起しなれば、たとえ青馬なれば役数「二付」、「三光り」、「こんてい」この分増えて「団」四つ、「下三」二つ、「こんてい」二つ、「三光り」一つ、「二付」一つ、数四つ、二つ、二つ、一つ、一つ、役数十也。「上り」二つ、「落」二つ、合わせて十四也。三つ折四十四也。何れもこの心也。

勝者は「落絵」の一枚を手札に加えて役を作る事が出来、これを「呼び出し」又は「尻起し」と呼びます。この二つの名称については他に資料が見当たらないので詳しい事は分かりませんが、ほぼ同じ意味だと考えて良いでしょう。しかし敢て微妙なニュアンスの違いを読み取ろうとするならば、「呼び出し」がこのルール自体を指す名称であるのに対し、「尻起し」は実際に「呼び出し」を行使して「落絵」を起す行為、更には起された札その物をも指す様にも受け取れます。尚、このルールが強制では無くて任意で有る事は、先に「呼び出し」「尻起し」無しの段階での点数計算を示している点から明白です。この例では「尻起し」の札を「生き物」札である「青馬」としていますので、ここに出ている役点は全て「ごみ入り」の場合の点数と成っています。この「呼び出し」後の点数との比較を分かりやすくする為に、「呼び出し」前の点数も「ごみ入り」として計算していると考えれば納得がいきます。

「尻起し」による「青馬」を加える事により、新たに「二付」「三光り」「こんてい」の三つの役が成立します。これらの役を『雨中徒然草』本文から探してみますと「こんてい」はすぐに見つかります。

こんてい
 [青馬][釈迦十][あざ]
 ○ 三
 □ 二

(6ウ)

「二付」は一瞥しただけでは気付きにくいのですが、じっくりと見ていけば「につけ馬」の事だと気付きます。

につけ馬
 [青馬][あざ][青二]
 ○ 二
 □ 一

(10ウ)

問題なのは「三光り」で、本文中いくら探しても該当する役が見当たりません。この件に関しては太楽先生の見落としと考えるしか無さそうです。ではこの「三光り」がどんな役なのかを考えて見ましょう。

役点は「ごみ入り」で1点ですので、おそらく「白絵」の場合で2点の役の様です。更に他の役とのバランスを考えれば、構成札三枚による役と考えて間違い無いでしょう。その内一枚は「青馬」だと判っていますので、残された組み合わせは次の四種に絞られます。

  1. 「あざ」「青三」「青馬」
  2. 「青二」「青三」「青馬」
  3. 「青二」「釈迦十」「青馬」
  4. 「青三」「釈迦十」「青馬」

この中から更に絞り込むのは難しいのですが、あえて最有力候補を挙げるとすれば、1番の「あざ」「青三」「青馬」の三枚の可能性が高いのでは無いでしょうか。理由としては、最も多くの役の構成札に成っている「あざ」が入っている事、及び役名「三光り」の「三」が「青三」に繋がる事が指摘できます。

それでは最終的な得点を計算して見ましょう。役点は全て「ごみ入り」の点数です。元から有ったのは「団十郎」4点「下三」2点、「尻起し」で増えたのが「こんてい」2点「三光り」1点「二付」1点で、4+2+2+1+1=10、役点の合計は10点と成ります。上がり札は七金物の「青二」ですので上がり点として2点。「落絵」の「青馬」も七金物ですので、呼び出し点も同じく2点と成ります。ちなみに「落絵」が七金物以外の札の場合の呼び出し点は、おそらく上がり点の規定と同じく1点だと思われます。

ところでこのケースでは「呼び出し」によって役点だけでも4点増えています。勿論いつでも新たな役が出来て役点が増える訳では有りませんが、その場合でも少なくとも1点、運が良ければ2点の呼び出し点が貰える事に成ります。「呼び出し」は只でさえ非常に有利な特権に見えますが、更にこれを行使するだけでボーナス点が与えられるという規定は少し奇妙な気がしないでも有りません。「呼び出し」の行使は任意で有る事を指摘しておきましたが、確かに多くの場合は行使した方が得点のアップが期待出来そうです。しかし常にこれを行使するのが得策かというと実は必ずしもそうとは限らず、行使しない方が良いケースも考えられます。例えば手役が「白絵」の状態の時に「呼び出し」を行なった場合、「落絵」が「生き物」であれば「白絵」が崩れて「ごみ入り」に成ってしまいますので、その結果役点が低くなったり、時には役自体が消滅してしまう可能性すら有ります。つまり「呼び出し」の行使には一定のリスクが伴う訳ですので、呼び出し点というボーナス付与の規定もあながち不合理という訳では有りません。

さて、いよいよ得点の最終集計です。役点の合計10点に上がり点の2点、呼び出し点の2点を加えて合計14点。これを三倍すると44点に成りま・・・???せんよね。14×3=42の筈です。これに関しては単純な誤記、誤刻と考えるしか無いでしょうか。

公開年月日 2011/06/12


『雨中徒然草』を読む(七)
  第三の序(其の四)

いよいよ『雨中徒然草』序文も大詰めへと近付いて来ました。そして最大の難関へと突入して行く事に成ります。

たてというは青物役の時、上がり二つづつ取るは、例え「青切」に「青九」「釈迦」と有るに、切って九、十にても三本並び也。青建にてなければ、九にて間切るる故に一本。

正直に白状しますと、これ以降の少なからぬ部分に関しては明確な解釈はおろか、解釈の手掛かりさえも掴めていないというのが実情です。実は佐藤要人氏もこの部分の解釈には相当悩まれた様で、次の様に簡潔に書かれているのみです。

青建について述べてある個所は、よく分らぬことが多い。これは他日解明したいと思っている。次の「一九」については、本文二十八丁のところで説明する予定。以下の文章は、斗技の心得ともいうべきものを述べており、意味の不明な個所も多いが、他の斗技者を喜ばせることも考慮して、無理勝ちは避けよ、としているようである。

佐藤先生をして慎重に保留せざるを得なかった問題に関して、浅学な素人研究者如きがギブアップ宣言する事には何のためらいも有りません。しかし逆にそこが素人の強み、的外れも覚悟の上でちょっとしたアイデアを交えながら読み進めて行きましょう。

「青建」とは何か。他に関連の有ると思われる資料は全く見当たりませんので、この文章と『雨中徒然草』中の他の記述を基に意味を推測するより外は無い様です。文中の幾つかの用語の意味から考えて見ましょう。

「青物役」の「青物」とは青札(パウ)の事と考えて良いでしょう。他の使用例としては、何れも「めくり」に関するものでは有りますが次の二資料が見つかりました。

大通俗だいつうぞく一騎夜行いっきやぎょう』安永九年(1780)
近年きんねん仲赤なかあかやくが出来てわれ/\がをや真赤まつかな鬼の目をめくり出して六百六十の数を合せしも今は七八九の青物あをものみせ秀鶴しうかく大立物をゝたてものにはみなはめに付けられ
契情手管けいせいてくだ智恵鏡ちえかがみ』天明三年(1783)
かの鬼夜な/\めくり村へ出てびつくりさせしばけもの也その外青物沢山たくさんに仕込み六そく六十の数を合せしは八百屋見せなるか

「青物役」とはこの「青物(青札)」の組み合わせによる役、例えば「団十郎」「上三」「下三」等を指すものと思われます。「青建」の「青」も又この「青札」の事だと考えて良いでしょう。

では「青建」の「たて」は何を意味しているのでしょうか。カルタ用語としての「たて」の意味を考えるならば、真っ先に思い浮かぶのは「あざ立て」です。「建」と「立」の文字の違いは有りますが、元々この二字は意味も用法も重なり合う部分が多く、厳密に区別して考える必要は無いでしょう。江戸時代には現代では考えられない様な当て字がごく普通に使用されていた事をご存じの方ならば、この程度の差異には殊更目くじらを立てる必要は無い事をご理解を頂けると思います。

「あざ立て」とは「よみ」の競技中、自分の手番で「あざ」を持っていれば場の数字に関係なくこれを出し、更に好きな数の札を続けられるというルールと推定しています。又、実際にこれを行使する事を「あざを立てる」と言います。「立てる」という動詞には様々な用法が有りますが、この場合の用法に近いものを探して見ましょう。

た・てる【立てる】
F-F用にたえさせる。用いる。役だてる。「用に―・てる」「役に―・てる」

『広辞苑(第五版)』

つまり「あざ立て」とは「あざ」を特殊な使用法で活用する一手で有り、同様に「青建」も「青札」を特殊な使用法で活用させる何等かの規定では無いかと想像出来る訳です。

「青物役の時、上がり二つづつ取るは」と有りますので、「青建」は「上がり点」に何等かの関係が有る様です。「青物役」の多くは主に「七金物」によって構成されています。上がり札が「七金物」の時には上がり点として2点(二つ)を得る事は既に推測済みですが、ここでちょっと気になるのは「二つ」では無く「二つづつ」としている点です。この問題は後で検討する事に成りますので、取り敢えず他の語句を見ておきましょう。

「三本並び」「一本」の「本」とは何でしょうか。これには『雨中徒然草』本文中に見られる役「二本ひかり」がヒントに成ります。

二本ひかり
 ○ゑに[釈迦十][青切]
 一

 ○ゑに[釈迦十][青馬]
 一

(21オ)


 ○ゑに[青馬][青切]

(21ウ)

「釈迦十」「青馬」「青切」の三枚の内の二枚が有り、残りが白絵の場合に全て「二本ひかり」という役に成ります。ならばこの内の一枚だけの場合には「一本(ひかり)」、三枚揃えば「三本(ひかり)」、更にこの三枚の様に連続した数の札の場合には「三本並び」と呼ぶ事が出来そうです。「ひかり」は「光り物」、つまり「七金物」の事と考えられますので、ひとまず「本」とは「七金物」を数える際に使われる単位で有ると仮定しておきましょう。これを検討中の箇所に当て嵌めて見ましょう。

最終的な上がりの局面で手持ちの札は「青九」「釈迦十」「青切」、つまり青札の9、10、12の三枚です。この内「青切」から打ち出せれば続いて「青九」「釈迦十」の順に打ち切る事が出来ます。この三枚の内「青九」以外の二枚は「七金物」ですが、間に「青九」が入る為「七金物」が連続しませんので「一本」という訳です。ところが「青建」のルールが適用された場合にはこれが「三本並び」と見做される、つまり「青九」が「七金物」扱いに成るという事に成ります。

では「青建」によって「三本並び」に成るとどの様な有利な特典が有るのでしょうか。ここで先程保留しておいた「青物役の時、上がり二つづつ取る」という記述に注目して見ましょう。「三本並び」との関連から想像を廻らせば、「七金物」による上がり点の2点は最後の一枚のみでは無く、連続して出された場合にはその一枚々々にそれぞれ2点づつ与えられるのではないか、というアイデアが生じます。この場合「三本並び」ですと一挙に6点の上がり点を得る事が出来る計算に成るわけです。

附廻しというは、その役数五役有るは、馬二の上がり、五所へ五度に当る。落四つが四五二十と成る。

続いては更なる難題の「附廻し」です。これも「青建」と同じく上がり点に関係する規定らしき事は察しが付くのですが、全体としての意味は良く分かりません。かと言って完全スルーするのも悔しいので、取り敢えず思い浮かんでいるアイデアを幾つか書き留めてお茶を濁しておこうと思います。

先ず「役数五役有る」というのは手に五種類の役が有るという意味と考えるのが最も自然だと考えられますが、もう一つ、役点が5点であるという意味にも取れます。『雨中徒然草』では役点の数え方として「一ッ、二ッ」と「一役、二役」の二種が併用されていますので、役点5点の意味での「五役」で有る可能性も否定出来ない訳です。次の「馬二の上がり」は「馬」と「二」の札での打ち上がりの事だと思われ、恐らく「青馬」か「青二」で打ち上がった場合に「附廻し」が適用されるのでは無いかと思われます。更に想像するに、前の得点計算法の所で例として挙げていたパターン、上がり札が「青二」で呼び出した落絵が「青馬」の場合(その逆も含む)なのかもしれません。ところで「馬」「二」の札は、手札に三枚揃うとそれぞれ「馬崩し」「二崩し」と成る特殊な札でも有ります。又「青馬」「青二」の二枚に「あざ」が加わると「につけ馬」或いは「二」と呼ばれる役に成ります。もしかすると「廻し」という名称と何等かの関連が有るのかもしれません(無いかもしれません・・・)。

「五所へ五度に当る」この二つの「五」は前の「役数五役有」に対応するものと思われます。だとすれば、やはり五役とは五つの役を意味すると考えた方が良さそうです。つまり「附廻し」がそれぞれの役に対して適用される(これが附廻すという事では無いでしょうか)と考えれば、役が五つ有る場合にはその五ヶ所に一度づつで、合わせて五度に相当する訳です。

「落四つ」は、これ迄の論証に従えば「呼び出し点」が4点という事に成ります。先ず落絵が七金物の「青二」「青馬」の場合で、その前の札も七金物の「二本並び」だと仮定すると合計4点と成ります。或いは先程紹介しておいた「馬二の上がり」を「青二」上がりで「尻起し」が「青馬」とするアイデアを採用するとどうでしょうか。この場合も「上がり点」「呼び出し点」それぞれ2点づつの合計4点と成ります。

ここ迄来ると最後の「四五二十と成る」は簡単に理解出来ます。「四五しご二十にじゅう」は掛け算の九九です。「落四つ」が「五度に当る」ので4×5=20点という訳です。

「青建」「附廻し」に関しては、最初に『雨中徒然草』を読んだ時には全く取り付く島も無い様に感じられましたが、今は朧げながらもその姿が見えて来た気がします。しかし今見えているつもりの物は、実はこれらの真の姿とは全く掛け離れた幻覚に過ぎないのかもしれません。いつの日か「青建」「附廻し」の真の姿が解明される時が来る事を夢見つつ、今は先に進む事にしましょう。

古は一九などという事有れども、割合片寄る故に打たれ程の乗り無し。よって高き古人、これをかんすと云う也。

この部分で最も難解なのは、最後に出て来る「かんす」という語句です。佐藤要人氏もこの部分に「よって高き古人是をかんす・・・と云也。」と傍点を振って強調していますが、その意味に関しての言及は有りません。この語の解釈の前に冒頭から読んで見ましょう。

「一九」は手札が一から九の連続した九枚の場合に成立する役で、有名な役ですので研究室の他の場所でも何度か触れて来ました。「いにしえは一九などという事有れども」と有りますので、自然な文脈としては「今は無い」という事に成る筈なのですが、何故かこの後『雨中徒然草』本文中にも登場しています。実際には廃れてしまっているものを、歴史的な記録として紹介したものなのでしょうか。文献上での「一九」の初出は古く、江戸初期の延宝期に遡ります。

難波鉦なにわどら』延宝八年(1680)
まづ/\此中はうちつゞき、今に初ぬことながら、まい日/\四車とうけたまわりました。さて/\めでたふぞんじます。
(中略)
四車とハ三むま一九のことあがるといふ心。こなたさまのはやらしやるをいふ。

以下、「一九」の登場する資料を年代順に列挙します。

最後の『かるたせりふ』は天明期の写本ですが、内容は享保期の『仕形十番切かるたつくしのせりふ』とほぼ同じ物です。こうして見ると確かに「一九」に関する資料状況は、江戸初期から中期に掛けてに集中している傾向が見て取れます。『雨中徒然草』の時代には完全に廃れてしまっていたとは断言出来ないものの、一般的にはあまり重要視されなく成っていたと考えても良い様です。

「割合片寄る故に打たれ程の乗り無し」
「打たれ」「乗り」共にこの序文中で何度か登場する用語です。正確な意味を示すのは難しいのですが、「乗り」は「波に乗る」「調子に乗る」といった意味に近い用法で、ポジティブな状態を表します。一方「打たれ」は「打撃を受ける」といった意味に通じ、ネガティブな状態を表します。つまり全体としては、デメリットを上回る程のメリットは無いという事を言いたい様です。

「よって高き古人、これをかんすと云う也」
いよいよ問題の「かんす」ですが、文法上はこれを名詞と考える事も不可能では有りません。つまり、高き古人が「一九」の事を「かんす」と呼んだ、と読む事が出来なくは無いのですが、文脈を考えると少々無理が感じられます。文章全体の意味を考えれば、ここは「止める」「省く」という様な意味合いの動詞で有る場合にしっくりと収まります。決定的な候補を挙げるのは難しいのですが、敢て有力候補として挙げたいのは「簡す」です。「簡」には「省く」という意味合いで「簡略・倹簡」等の用法が有りますので、これならば全体の意味が通ります。

かるたは鞠の如く、素直に人を上げる事を覚えずしては、我かえって役を打たれ、無理に手前の絵都合よくする時は、極めて向うの絵都合よし。打ち出しと留め所が大事也。

ここではカルタの極意を鞠に例えて説いています。ここでいう鞠は子供用玩具の手鞠では無く、蹴鞠(けまり・しゅうきく)の事です。蹴鞠というと多くの方は(私もそうだったのですが)大昔の宮廷や貴族の遊戯というイメージをお持ちでは無いかと思いますが、実は江戸時代にも大変人気の有った屋外競技で、江戸庶民の間で盛んに遊ばれていました。蹴鞠の競技人数には四人、六人、八人制等が有る様ですが、江戸庶民の場合は恐らく四人制が主流だったのでは無いかと想像されます。これは「よみ」の標準的な競技人数と同じで有り、その為にちょっとした問題が生じます。

『川柳評万句合勝句刷 宝八・九・五』宝暦八年(1758)
三人て始メていても身にします

句意としては、メンバーが一人揃っていないので、取り敢えず三人で始めたものの何と無く身が入らない、といった感じでしょう。問題は本句の作者が読者に対して暗黙の理解を期待している情景は何か、早い話しが一体この三人は何をし始めたのかという点です。最も有力な候補はやはりカルタでしょうが、蹴鞠の句とする解釈も可能です。

『雲龍評万句合勝句刷 明元10・15』明和元年(1764)
四人になれハ家根ふく春の雨
『川柳評万句合勝句刷 天五信5』天明五年(1785)
あざかなくなつて四人ふるふなり

一句目の「家根を葺く」というのはカルタを打つ事を表す隠語です。二句共に他のヒントからカルタの句、それも恐らくは「よみ」を詠んだものと断定出来ます。一方例題句では他のヒントが無い為に、情況を断定するのが難しい訳です。余談ですが、「四人」は「よったり」と読みます。今でも一人を「ひとり」二人を「ふたり」と読むのと同じく、四人を「よったり」と読むのは江戸時代には良く使われた言い回しでした。

少し脱線してしまいましたが、話しを戻しましょう。蹴鞠の場合は四人の競技者は言わばチームメートで有り、お互いに協力関係にあるのに対して、カルタの場合は勝負を争う敵対関係にありますので正反対の性格を持ちます。しかし太楽先生はカルタの勝負でも自分一人の勝ちにこだわり過ぎず、他の競技者と協調する事が大切だと説いている様です。何となくの名言の様でもあり、そうでも無い様でもある微妙な主張ですが、最後の「打ち出しと留め所が大事也」という部分は「よみ」の極意として名言だと言って良いと思います。「よみ」の基本ルールをご理解頂ければ、打ち出し札の選択や「留め」のタイミングの見定めが、打ち方の上手下手の大きな分かれ目となる事をお解り頂けるかと思います。

親出をかよさつにくみ、同二番附く時は二番に役有り。親くる絵が親役なれば、二番打ち切りかるた也。十馬切、二通りと見ゆる。

更に解りにくい文が続きます。特に「親出をかよさつにくみ」というのが意味不明です。全体としては、自分に良い手が来る時は得てして相手にも良い手が行っているものだ。調子に乗るべからず。といった意味でしょう。例えば親で大きな役が出来そうだと喜んでいると、胴二が一気に打ち切り、あっさりと上がられてしまうという事は有りがちです。

「十馬切、二通り」はとても有利な手札で、どこから打ち始めても一手で六枚を打ち切る事が出来ます。特に十から打ち始めの場合には、十馬切十馬切と出した後に更にもう一枚任意の札を出せますので一気に七枚を処分出来ます。

ところで何故「十馬切、三通り」では無くて「二通り」なのでしょうか。三通りならば九枚の札を一手で打ち切る事が出来ますので、例としては二通りよりも相応しい気がします。しかし親の手に大きな役が有るという前提を考えるならば、幾つかの例外は有りますがほとんどの場合は、「釈迦十」「青馬」「青切」の内の少なくとも一枚は持っていると考えるのが自然です。従って「十馬切、三通り」は有り得なくは無いものの、そう簡単に揃うものでは有りません。

割返しは勝ちたる所を減らし、打たれたる所へ三番役を打たせ、つかふすれば割返し自ずから大様成るによつて、我割返し多く取る故打たれ少なし。一件勝ち過ぐれば両方割少なし。これ心付る事、割返しの伝なり。

いよいよ大詰めです。ここにも一つ解釈困難な語句が有ります。敢えて原文通りの仮名で「つかふすれば」としておきましたが、佐藤要人氏はこの部分に「遣ふすれバ」と充てておられます。しかしこれでは意味が通りにくく、何となく違和感を感じずにはいられません。私見としてこれは「都合すれば」では無いかと考えているのですが、これにしてもスッキリと意味が通じるという訳でも無く、取り敢えず結論は保留とさせて頂きます。

ここでは再び前出の「割返し」に触れていますが、これは勝者が得点の一部を敗者に戻すというルールです。その精神は富める者が貧者に対して施す、つまり仏教において功徳とされる「施行」の精神に通じるものが有ります。思い返せばこの序文は「善を勧め悪を懲らしむる」という仰々しい書き出しで始まりましたが、ここで「割返し」を持ち出す事によって、言わば辻褄を合わせたのでは無いでしょうか。

『雨中徒然草』序文九丁表

以上で序文は終わりですが、本文に入る前に「相合印」と題されたページが有ります。ここでは本文中で役の説明に繰り返し使用される概念を記号化したものを解説しています。

 相合印
○     しら絵之印
□     ごミ入之印
△     青物之印
[瓢箪形] あつかい之印
[瓢箪形]印ハ上り落にかまハすの事也

(序9オ)

「白絵」「ごみ入り」に関しては既に解説済みです。「青物」を表す△の印が使用されるのは本文中で「八花」役の説明部分の一箇所のみですので、そこで検討する予定です。残る「あつかい」について少し検討しておきましょう。

残念ながら「あつかい」の意味を直接具体的に説明している資料は見当たりませんので、例によって様々な断片的な資料から推測する事に成ります。

『苔翁評万句合勝句刷 宝13・7・11』宝暦十三年(1763)
扱イを寝て聞イて居ルよみ中間
『けいせい扇富士』明和七年(1770)
ヱヽ扨めくりであつかくふ様で気ざ/\

「あつかい」は「よみ」「めくり」に共通して用いられており、時代的に接近している事から考えて両技法での使用法は概ね同じだと考えて良いでしょう。

『錦江評万句合勝句刷 明五神2』明和五年(1768)
あつかひを打て花娵笑止かり
婦美車紫鹿子ふみぐるまむらさきがのこ』安永三年(1774)
さいぜんより物もいわずめをひからしかたでいきをしめくりにあつかいくつたこゝろにてうつかりとしてゐたりしが

「あつかい」には「あつかいを打つ」立場と「あつかいを喰う(打たれる)」立場が有る様です。「あつかい」を喰った方の様子を見ると、『けいせい扇富士』では「めくりで扱い喰う様で、きざ/\」と有ります。「きざ」は本来「気障」と書き、現代の用法とは違って文字通り気に障る事、不快感を表す言い回しです。『婦美車紫鹿子』では「あつかい喰った心にて、うつかりとしていたりしが」と、正に茫然自失の様子です。一方「あつかい」を打った方はというと『錦江評万句合勝句刷』の「あつかひを打て花娵笑止かり」と、何やら御満悦の様子です。どうやら「あつかい」は、打った方は大喜び、打たれた方はかなりのダメージを受けるものと見えます。

『川柳評万句合勝句刷 明五松4』明和五年(1768)
角田川迄にあつかい二ッうち

屋根舟での川遊びにカルタという趣向は当時かなり流行していた様で、川柳・雑俳にもこれをテーマにした句が数多く見られます。同時期の川柳を少し紹介しておきましょう。

『川柳評万句合勝句刷 明五満3』明和五年(1768)
かるた舟かしをかへろはまけたやつ

大負けのゲン直しに、「河岸を変えろ」と要求したい気持ちも解らないでは有りません。

『川柳評万句合勝句刷 明五智5』明和五年(1768)
舟ばくち壱人勝してぶきミなり

一人勝ちして大喜びの様ですが、屋根舟という密室の中で何やら事件が起きなければ良いのですが・・・

さて、例句に戻って情景を考えて見ましょう。江戸市中は自然の川に加えて人工の堀が縦横無尽に張り巡らされ、正に水の都と呼んでも良いような水運都市でした。屋根舟等の小型の舟は、堀のあちこちに有る船着き場から水路を辿って自由に移動出来たのです。恐らくは夏の夜、屋根舟で水路伝いに角田川(墨田川)迄出て、川風に涼をとりながらゆっくりとカルタを打とうという趣向でしょう。舟が河岸を離れると早速カルタを打ち始めた一行ですが、目的地の角田川に着く迄の短い時間に何と二度も「あつかい」が生じて一同大騒ぎ、といった所でしょう。どうやら「あつかい」は、通常はそう頻繁にお目に掛かれるものでは無い様です。

資料の検討から「あつかい」の姿が朧げながら見えて来ましたが、より具体的な内容を知る為には『雨中徒然草』内の記述内容を調べる方が近道の様です。『雨中徒然草』本文中から「あつかい」の記述を幾つか抜き出して検討して見ましょう。

五くるま
 [コップのぴん]一
 [釈迦十]   五
 [青馬]    三
 [青切]    三
 [青二]    五
 [太皷二]   四
 [青三]    三
 [あざ]    あつかい
 五六七八九十馬切と八まへ揃て右にしるし置く八まへの内ひんでとまれハ一役十ハ五やく切馬三とたん/\とくらいをつけて取なり
 五車の[青五]とめを助高屋ト云
 五車青とめ あつかい
 あをとめといふハ五と打とめと青ものなるを云

(23ウ×24ウ)

これを見ると、先ず基本的な事として「あつかい」とは役点に関する取り決めで有る事が判ります。又、具体的に点数が示されているのは5点迄ですが、恐らく「あつかい」はそれを越える最高点数であろうと想像出来ます。もう一つ見ておきましょう。

八上 五  九上 あつかい

(28オ)

「八上」は手札が全て八以上の札の場合に成立し、役点は5点です。同様に「九上」は全ての手札が九以上の場合ですが、その成立確率は「八上」に比べると一気に低く成りますので「あつかい」とされる訳です。他の「あつかい」とされる役の多くも、程度の差は有るものの総じて成立確率の低いものばかりです。

九花
 あつかい
 いきものなしの青物をはなと云これを九まへもてハ九はな也

(29オ)

惣生
 あつかい
 ひん十馬切虫をいき物と云是ヲ九まへあれハそういき也

(29ウ)

「扱い」には調停、仲裁という意味が有りますが、カルタ用語としての「あつかい」はこの意味に近いと思われます。つまり「あつかい」とは極めて成立する確率の低い役に対して、予め定められた高得点を与える取り決めでは無いでしょうか。麻雀をご存じの方ならば、役満の様なものと思って頂ければ良いでしょう。こう考えれば最後の「[瓢箪形(あつかい)]印ハ上り落にかまハすの事也」という文の意味も理解し易いでしょう。「上り」は上り札の種類による「上り点」、「落」は落絵を加える事による「呼び出し点」の事でしょう。つまり、通常の点数計算が役点の合計に「上り点」「呼び出し点」を加えて算出されるのに対して、「あつかい」の場合には全てを引っ括めて何点と決められていると考えられます。

『雨中徒然草』本文一丁表

ところで「あつかい」に対して与えられる点数は何点なのでしょうか。恐らく絶対的な基準が有った訳では無く、基本的にはその場の取り決めに依るものと思われますが、一つの目安となる点数が推測出来るヒントが『雨中徒然草』本文の中に有ります。

五光
 [青二][釈迦十][太皷二][青切][青馬][あざ]
 あつかい
 ○ 団十  五
 ○ 五光 団五 竹四
 ○ 四光  五
 ○ 天上  三
 ○ 上三  三
 ○ こんてい三
   光  一
   二付  一
   〆三十役

(1オ)

この「五光」は『雨中徒然草』本文の冒頭に登場する役で、数多くの役の中でも最も重要視されている様です。当然ながら「あつかい」とされていますが、何故か続いて点数の明細が記されています。詳しくは本文の解説で検討する予定ですが、要するに「五光」役の構成札の中に含まれている役の明細を列挙している訳で、その合計が〆て30点。従ってこの30点が「あつかい」に与えられる得点だと推測されます。

最後に「あつかい」に関係する興味深い雑俳を一句ご紹介しましょう。

『如露評万句合』宝暦十二年(1762)
鉄をくふ虫てはねれば扱われ

「鉄を喰う虫ではねれば扱われ」
本句は、カルタに関する知識無くしては絶対に理解不能な超難句ですが、今は容易に解釈出来ます。先ず「鉄を喰う虫」とは、第三の序の最後の方で触れた様に「あざ」の事を意味します。最後の「扱われ」は「あつかい」を受けるという意味でしょう。残るは中間の「はねれば」の部分ですが、実は「はね」とはカルタの役名の一つであり、古典文学の研究者の間でもかなり古くからカルタ用語として認識されていた言葉です。

雪女ゆきおんな五枚羽子板ごまいはごいた』宝永五年(1708)
四そろ花ぞろきりばねつんばねふたやく。三やくゑがつくとくつく色がつく。
大織冠だいしょくかん』正徳三年(1713)
又ひらよみにまきなをし。五したに打きりつんばねあざばねにぎりのそろでぞ勝たりけり。
持統天皇じとうてんのう歌軍法うたぐんぽう』正徳五年(1715)
ェヽぎゑんのわるい。きりばねつんばねでも有ことか。馬ではねては物にならぬ。

これら三点は全て近松門左衛門作の浄瑠璃台本です。近松作品にはこの他にも多くのカルタ用語が登場します。これらは当時の観客や読者にとって共通認識だった訳で、いかに広くカルタが浸透していたかを示すもので有ると同時に、もしかすると近松自信もかなりのカルタ好きだったのかもしれません。

もう一つ『雨中徒然草』に近い時代の川柳を見てみましょう。

『川柳評万句合勝句刷 明三義6』明和三年(1766)
けうなばんあさはね斗リ二はい喰ィ
「希有な晩、あざはねばかり二杯喰い」

「一晩であざはねを二度もくらうとは、珍しい晩だ」といった意味でしょうが、裏を返せば「あざはね」の発生率は大変低く、通常は一晩に一度有るか無いか程度のものであろうと考えられます。その様に珍しい役である「あざはね」の点数はどのくらいかというと、実は『雨中徒然草』本文に明示されています。

はね
四はねをわらしきれト云
 [青切]    五
 [コップのぴん]三
 [あざ]    あつかい  同しゑ二まへヽそろふをはねと云
   切はねにハ切三まへ
   ひんも同し事
 右にしるすゑハ切はねハ五役ひんはねハ三役虫ハあつかいとしらせるためなり

(24ウ×25オ)

「はね」役についての詳細は本文で検討するとして、ここでは役点のみを見ておきましょう。点数が記載されているのは「はね」役の内の三種で、「切はね」が5点「ぴんはね」が3点。「ぴん」は古くは「つん」と称されていましたので、「ぴんはね」とは近松作品等に見られる「つんばね」と同じものです。『雨中徒然草』では「虫」は「あざ」の事を指していますので、これが「あざはね」で有り、「あつかい」とせれている事が判ります。この事を念頭にもう一度例題句を読み直して見ますと、「鉄を喰う虫ではねれば扱われ」とはズバリ、「あざはねが出来たので、あつかいに成った」という意味だと理解出来ます。つまり性格の異なるこれら二つの資料の中に、全く同一の事実が書かれていたという訳です。

続いてのページには半丁全体を使って挿絵が描かれています。内容は正月らしく福寿草が三株、これにて序文が終了し、いよいよ本文へと入って行きます。

公開年月日 2011/09/15


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